ドゥンドゥン、ボンボン攻撃

 

なんだかんだ言って、結局は「誰」という部分が大きなウエイトを占めているのが、この世の常というもの。

その証拠に、同じ行為であっても「誰がやったのか」で印象が変わるから面白い。

 

たとえば、仲のいい友達や品行方正な人物が軽微な悪事——すなわち「いたずら」をしたとしよう。それを見た我々は、「ちょっとー、なにしてんのよ!」「もぉー、やめなよ!」など、注意をしたり諫めたりするだろうが、だからといって本気で怒っているわけでもなければ、不快な思いに見舞われることもない。

それはなぜかと言えば、相手が知り合いであり性格や人柄を知っているからだ。付け加えると、相手に対してネガティブな印象を持っていないからこそ、ちょっとした悪事も見逃せる「余裕」があるのだ。

 

ところが、同じいたずら(悪事)を見ず知らずの人物や、あまり快く思っていない者が行ったならば、それを見た我々は「あいつ、ヤバくね?」「うわっ、最悪!」と、苛立ちや不快感を露わにするだろう。

要するに、快・不快のボーダーが「ヒトによって変わる行為」だとすると、相手を知っているかどうかに加えて、相手への好感度こそが”軋轢を生じさせないための予防策”となるのだ。

 

ふとそんなことを思ったのは、我が家の隣に住む住人がおそらく立派なスピーカー、しかもウーファー内臓のものを購入したらしく、朝から晩まで不穏なバス(低音)の振動が伝わってくるようになったのがきっかけだった。

 

隣室との間には分厚いコンクリート壁が隔たっているため、どれほど耳をくっつけても音は聞こえない。だが、室内にいると壁や床さらには換気口などを伝って、音というより「振動」が届く。

しかも、メロディーはまったく聞こえないため、ただ単にドゥンドゥンという重低音だけが伝わってくる——脳髄を刺激するような低周波のバスが、途切れることなく延々と攻撃を続けるわけで、少なからず苛立ちや不快感を覚えてしまうのだ。

 

とはいえ、実のところどの部屋から発生している音なのかは分からず、もしかすると下の階の住人かもしれない・・などと思っていたのだが、たまたまエレベーターで乗り合わせた隣人に「ここ最近の重低音」について話を振ったところ、

「あ・・それ自分です。すみません、気をつけます」

と、まさかのというかやはりというか、ピンポイントで犯人の特定に至った。しかも、Spotify(スポティファイ)でお勧めの楽曲を再生しているらしく、「あぁ、なるほど・・だから一日中音楽が流れているのか」と、妙に納得してしまった。

 

在宅勤務の隣人は、自室でヒップホップやクラブミュージックなどを流しつつ仕事を進めていたのだろう。そのため、「よし、スピーカーでも買って気分を上げながら作業をしよう」と考え、ウーファー内臓のスピーカーを購入した。

その結果、わたしは朝から晩までボンボンと規則的に鳴り響く、不穏な重低音に洗脳される羽目となったのだ。

 

それにしても「音の振動」というのは恐ろしいもので、おそらく隣人はそこまで大音量で曲を流してはいないにもかかわらず、低音(バス)はスピーカーを通じて立体的な音となり、わたしの部屋・・いや、鼓膜へと到達してしまう。

よって、音楽に臨場感を求めれば求めるほど、近隣住人へ低周波攻撃を食らわせることとなるわけだ。

 

しかしながら、隣人の出で立ちや人柄を少なからず知っているわたしは、謎の重低音の発信源を突き止められたことで、むしろスッキリした。

なぜなら、彼はいい奴であり好感が持てる。無論、そこまで仲がいいわけではないので、もしかするととんでもない悪人かもしれないが、それでも現状では「いい奴」だと認識している。

そんな”知人”の生活習慣や行動が把握できたことで、「発狂寸前の低周波攻撃」が「ちょっと耳障りな重低音」程度へと昇格したのである。

 

これがもし、いけ好かない人物で敵意や悪意むき出しの相手だとしたら、このような着地にはならなかっただろう。それこそ武力行使も辞さない方向へ——なんてね。

 

 

以上の経緯から推測するに、世界平和を願うならば世界中の人間と繋がるのが手っ取り早い。互いを知り、尊重し合うことで、多少の軋轢でも「まぁまぁ、見逃してあげましょう・・」と、スルーできるだけの”心の余裕”が生まれるからだ。

それにしても、振動というのは脳をコントロールする力、言い換えれば「洗脳」に近い影響力がある。マジである。だからこそ「振動に警戒せよ」と、隣人が教えてくれたのかもしれない——。

 

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