大学を卒業してから随分経つが、なぜか未だに「単位が足りなくて留年しそうになる夢」で飛び起きることがある。しかも、寝坊で授業に間に合わず出席回数が足りない・・という最悪なパターンだ。
当時まともに授業に出ていた記憶はないが、それでもどうにかして単位が取れていたのは、おそらくレポートや試験一発で単位が取れる科目を選んでいたからだろう。
それにしても、今思えば「代返可」も含めて授業に出ないという選択は、非情に勿体ないことだったと悔やまれる。いかんせん、その道の第一人者である教授らの授業を受けられることが、大学で学ぶ意義であるにもかかわらず、それを避けてタイパに走っていたのだから愚の骨頂。
それなのに、とにかく大学へ行かずに単位が取れる授業ばかりを選択していたわたしは、いったい何をしに大学へ行ったのかまったく分からない。それこそ、カネで単位を取って卒業し、〇〇大学卒という肩書きを手にしただけのバカである。
そんな後悔があるからか、未だに「出席が足りず単位を落とす夢」や「カンニングが出来ない状況で焦る夢」を見ては、心臓をバクバクいわせて飛び起きることがある——ん?カンニング?!
そう、わたしはテスト勉強を頑張るのではなく、真剣にカンニングをするタイプなのだ。念のため補足するが、単にカンニングをするのではない。命懸けで真剣なカンニングをする、という部分を強調しておきたい。
わたしの”カンニングに対する意気込み”は並大抵のものではない。過去のどのカンニングを振り返っても、全身全霊人生を賭して挑んできた。それ故に、恥じることも悔やむことも一切ない。
だからこそ、中途半端にコソコソとカンニングする野郎が許せないのだ。「見つからないようにしよう」などというセコい根性でカンニングに挑めば、そのコソコソ感が逆に周囲と異なる違和感を生むことで、あっさりと試験監督へ伝わってしまう。その結果、不正がバレて「失格」となるわけだ。
だがわたしは違う。試験というのは人生を賭けた勝負の時間なわけで、姿勢や動作など言うまでもないが、己が発するオーラまで完璧に偽装して・・いや、カンニングに集中するあまり、その真剣さが禍々しいオーラとなってわたしの不正行為を包み隠すのだ。
高得点を目指す者、合格ギリギリの点数にしがみつく者、とりあえず回答する者——。様々な受験者がそれぞれの思いを込めて答案用紙に記入をする中、わたしは解答に加えてカンニングというとんでもない大仕事をやっている。その必死さというのは、他の受験者と同じ・・いや、間違いなくそれ以上だろう。むしろ、決死の覚悟から生まれる危機感と緊張感が、並々ならぬオーラを漂わせているに違いない。
というように、わたしも「真剣に試験を受けている」のである。
そんなわたしは、焦っていた。試験会場にて指定された席へ座ったところ、わたしの前後は空席で、右は微妙な距離があり、左は目が見えない人——なんと、父親が座っているではないか!!
この時点で夢であることは明確。にもかかわらず、なぜか夢というのはその違和感に気づかないから不思議である。
ちなみに、マークシートのテストが得意なわたしは、他人の答案を盗み見る際は「前後の受験生」がターゲットとなる。それなのに今回は、前後が空席という最悪の事態に見舞われた。この場合、急遽左利きに変更し、左に座る受験生の答えを盗み見ることになるのだが、奇しくも視覚障害者ということで点字での解答——お、終わった。
やむを得ず自力で解答用紙を埋めたわたしは、昼休憩で友人らと答え合わせをしたのだが、案の定、わたしが記入した内容と友人らの答えは違っていた。
試験は午後も続くが、あの席順ではどう考えても絶望的。あぁ、これは確実に落ちたな——。
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いくつになっても、単位を落として卒業できない悪夢にうなされるわたしなのであった。











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