黒松殿

 

ダイエットを試みたのは今年に入ってから。よって、継続していればもうすでに半年が経過したことになる。

本気でダイエットに取り組んだわたしは、有料のダイエットアプリを使い日々の食事を記録し、AIのお姉さんに叱咤激励されながら、来る日も来る日も体重計の数字が暴落するのを心待ちにしてきた。だが酷なことに、体重は1キロも変化しなかった。

 

というわけで、減量の点では失敗に終わったわけだが、その過程において有益な情報を得ることができた。それは「あんこは脂質ゼロだから、甘いものが食べたくなったら羊羹を食べるといい」というものだ。

しかしながら、わたしの「三大不好物」の一つであるあんこを、甘いものすなわちチョコやクッキーの代わりに食べることなどできるはずもない。そんなことなら、甘いものなど食べない方が百倍マシである。

 

だが、人間いかなる時もチャレンジ精神が重要。よって、何らかの試練あるいは成長に必要な儀式だと思い込ませることで、虎屋の一口羊羹(抹茶味)を完食することに成功したわたし。

多くの者は「なにを大袈裟な!」と鼻で笑う話だろうが、これが自分の大嫌いな食べ物——いや、食べ物だと認識すらしていないものだとすれば、とんでもない快挙である。例えるならば、段ボールやサランラップを食べるのと同じ。いかんせん、わたしはその時まであんこを食べ物だと認めていなかったのだから。

 

それでも、一度「食べられる」と分かったならばら後は早い。抹茶以外にもレモンやほうじ茶、珈琲、塩などさまざまな羊羹を試食してみた。その結果、わたしは羊羹を・・いや、あんこを克服したのである。

(日本に生まれたからには、我が国が誇る「和菓子」を踏破せずして大和撫子は名乗れない——よし、積極的に和菓子を食べよう!)

こうしてわたしは、ダイエットの傍らで低脂質なスイーツの代表である”あんこの菓子”をつまみ食いするようになったわけだ。

 

この経験から、一つ学んだことがある。それは、「あんこが食べられると、ちょっとしたおやつをもらう機会が増える」ということだ。

あんこ菓子といえば「饅頭(まんじゅう)」が有名であり、饅頭というのは個包装されている場合が多いので、ちょっとしたおやつに一つか二つほど手渡すことができる。これがチョコやクッキーだと、裸の状態で箱詰めされている場合が多いため「ポケットに入れて持ち帰る」という行為が難しい。

仮に、個包装されていたとしてもチョコならば溶けるしクッキーならば割れるし、持ち歩きには適していない。その点、あんこの菓子は溶けないし割れないし、多少つぶれても手で形を整えれば元通りになるから素晴らしい。

 

そんなわけで、先日、通りすがりのわたしは有名店の「どら焼き」を手に入れることに成功した。

ちなみに、東京の「どら焼き御三家」といえば、上野の「うさぎや」、浅草の「亀十」、東十条の「草月」が有名。まず、うさぎや」はレンゲ蜂蜜を練り込んだしっとりした皮と瑞々しい餡が特徴で、「亀十」はパンケーキのようにふわふわで大ぶりな生地が唯一無二の食感。そして、「草月」は黒糖と蜂蜜を練り込み虎模様に焼き上げた”黒松”が、見た目も香ばしさも絶品と称されている。

いずれの店も行列が絶えない東京を代表する名店であり、手土産としても不動の人気を誇っているのだ。

 

そんな名店中の名店「草月」のどら焼きを手にしたわたしは、密かに歓喜した。なぜなら、あんこを食べ物と認識し、和菓子に手を出すようになっておよそ3か月が経過するが、未だに「どら焼き」というものに挑戦したことがなかったからだ。

饅頭や団子はクリアできたが、どら焼き(ついでに、鯛焼きも)制覇できていないことに気が付いたわたし。とはいえ、これといって理由があるわけではない。だが、あんこ初心者にとって「粒あん」の存在は若干の恐怖を感じるため、”粒あん率”の高いどら焼きや鯛焼きをなんとなく嫌厭してきたのだ。

 

しかしながら、御三家のどら焼きとあらば食べない理由・・いや、食べられない理由はない。むしろ、御三家のどら焼きがダメならば、金輪際どら焼きを口にすることはできないだろう。

そんなことからも、どら焼きの頂点に君臨する草月のどら焼き——その名も「黒松」と対峙したわたしは、今後の人生を左右するであろう岐路に立たされた。

 

さて、黒松殿の実力はいかほどのものか——むむっ、口の中にハチミツの香りが漂い始めた。おまけに、黒糖の濃厚な風味が咀嚼のたびに広がるではないか。そして、それらの皮を包み込むかのように、程よい甘さと食感の粒あんが全体のバランスを整えている——なんという完璧なハーモニー!!

 

 

こうして、どら焼き・・もとい粒あんを無事に制覇したわたしは、いついかなる時でもあらゆる和菓子に対応できるようになった。今さらではあるが、ようやく大和撫子として大成したのである。