昼過ぎに、母親から電話がかかってきた。普段はSNSでメッセージを送ってくるのだが、あえて電話をかけてくるときというのは、母が一人では解決できないトラブルに見舞われたとき・・と相場は決まっている。
その証拠に、事前相談なしでいきなりの着信があった出来事といえば、転倒した母が肩を脱臼+腱板断裂した際に「どうすればいい?」という相談をされたことや、自宅のプリンターから印刷物が出てこなくなり、明日までに完成させなければならない配布物の作成が不可能となったことで母がパニックになったとき、あとは・・乙が死んだときか——。
こちらからすると、転んで怪我をしたからどうすればいい?とか、プリンターから印刷物が出てこなくなったからどうしたらいい?という電話の内容は、申し訳ないが「くだらないこと」に分類される。そのため、母にとっては一大事なのだろうが、いきなりの電話で時間を取られたわたしは多少なりとも不機嫌になるのだ。
無論、親子という特別な関係性があるからこその感覚ではあるが、さて、今回の着信はどんな内容なのだろうか。
「なんかねぇ、お父さんがバス停じゃないとろこで下ろされちゃって、お母さんのいるところまで戻って来るって言ってから、全然現れないのよー。どこへ消えちゃったのかしら」
どうやらバス車内にて、父が押したボタンに気づかなかった運転手は、下車予定のバス停を通過してしまい、しばらく経ってから慌ててバスを止めて父を降ろしたのだそう。
だが父は全盲のため、たかか数百メートルとはいえ「見ず知らずの場所」で一人残されては、その後の行動に困る。これがまだ都会で、通行人も多く社交的な人間ばかりならばどうにかなるのだが、長野という閉鎖的な田舎町においては、都会では当たり前のことが日常的には起こり得ない。そのため、バスを下ろされた父はそれこそ「勘」に頼って、母が待つ本来のバス停の位置まで戻ることにしたのだ。
だが、一つ先のバス停へ向かう母とそこから戻る父とが、いつまで経っても鉢合わせをしない・・というのはおかしい。互いにスマホを持っているので、連絡は取りあっているのだが、いかんせん目が見えない父に「いまどこにいるの?」と聞いても、目印や建物を伝えることができないわけで、父がどこにいるのか不明なまま母はウロウロしていた。
そこで母は、刑事ドラマのごとくGPSで父の居場所を探る方法を思いつき、その”刑事役”をわたしにやらせようと電話をかけてきた——という流れだった。
(位置情報共有アプリでも使用しない限り、わたしがGPSを使って他人の居場所を突き止めることなんて、できるわけないだろうが・・・)
その浅はかな思いつきにイラっときたわたしは、思わず返す言葉を失った。
全盲の父が行方不明というのは深刻な事態ではあるが、電話が通じているのであればまぁどうにかなるだろう。それよりも、単に愚痴を言うためだけに電話をかけてきたかのような内容に、クライアントと移動中のわたしは沸々と湧く怒りを抑えるのに必死だった。
その後、「あ、見つけた!」という母の声を聞いた途端に電話を切ったわたしは、あまりのくだらなさに全身の力が抜けてしまった——なんだったんだ、このくだらない茶番じみた無駄な電話は。
実際のところ、事件の発端は「運転手の勘違い」だった模様。父は、下車予定のバス停でボタンを押したのだが、運転手はそれを「ひとつ前のバス停で降りるつもりだったのでは?!」と、謎の勘違いを発動させてしまい、慌ててバスを止めて父を下ろしたのだそう。
もしかすると、ボタンを押すタイミングが早すぎたのかもしれないが、それにしても停留所の名前を確認してから降ろすなり、次のバス停まで乗せていくなりすればいいものを、中途半端なところで降ろしたものだから、目が見えない父にとっては「与えられた情報」だけが頼りとなる。
要するに、父は「下車予定のバス停を通過してから降ろされた」と思っており、それを母に伝えたのだ。だが実際には「下車予定のバス停の、ひとつ前のバス停を過ぎた辺りで降ろされた」わけで、そりゃ父と母が落ち合うことはない。
この誤った伝言ゲームの末、母は次のバス停まで向かうも当然ながら父を発見できず、やむを得ず戻ってきたついでに一つ手前のバス停まで歩いていったところ、さらにその次のバス停付近で父を発見したのだそう——延べ一時間にわたる、立派な散歩である。
*
目が見える者にとっては、周りを見渡して現在地を伝えることができるし、それ以前にグーグルマップなどの便利なアイテムを使って目的地へたどり着くことができる。
しかしながら、目が見えない者にとっては誰かに現在地を知らせることも、自分が今どこにいるのかを把握することも難しい。
(果たして、わたしが失明したらどうやって生きていくのだろうか・・)
「目が見えるのは当たり前」と思っている者がほとんどだが、実はものすごく奇跡的なことなのかもしれない。










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