腐った牛乳を飲んでも腹を壊さないわたしが、珍しく「食中毒」と思しき症状に見舞われた。
腸内からのSOSを察知したわたしは、全神経を集中させて腸管の様子を探ったところ、どうやら食べ過ぎや消化不良ではなく「毒素」による腹痛の模様。要するに、黄色ブドウ球菌ってことか——。
滅多に下痢や嘔吐を起こさないわたしは、丈夫で元気な腸内細菌に支えられて生きている。それに加えて胃腸の消化力も高いので、濃厚な胃酸によって細菌を殺したりタンパク質を分解したりするのも得意。だからこそ、乱れた食生活とノートレーニングであるにもかかわらず、ゴリラのような筋骨隆々なフォルムが保たれているのだ——まったく迷惑な話である。
そして、年に一度の珍イベントに参加している気分のわたしは、腸の変化を一ミリも見逃すまい・・と、その一挙手一投足に注意を払った。まず明らかに、外部から侵入した菌か毒素による症状であることが分かる。なぜなら、腹痛レベルが異常に高いからだ。
たとえば、冷えや食べすぎによる腹痛というのは、痛みが穏やかで笑顔が維持できるレベルといえる。これらの腹痛の仕組みとして、まず「冷えによる腹痛」は、寒さにより腸の血流が低下→機能が停滞することで、水分の吸収がうまくいかなくなり下痢を引き起こす。
そして「食べすぎによる腹痛」は、消化しきれない量の食物が入ってくることで、胃液や胆汁・酵素の分泌が間に合わなくなる→消化不良により未消化の異物が大腸へ進んだ結果、水分を分泌することで薄めて排出&腸の動きが早まり排出が加速され、水分を含んだ便・・つまり下痢になるのだ。
このように、消化機能不全による腹痛や下痢は、すべて体内で起きる生理現象や自己防衛反応なので、主である人間もなんとなく安心して対処できる。だが、細菌や毒素による腹痛というのは、禍々しい悪意を含んだ攻撃力を感じるわけで、明らかに異質なのだ。
今回のわたしの腹痛は、十中八九、黄色ブドウ球菌が産出する毒素である「エンテロトキシン」の仕業である。特徴として、耐熱性が非常に高いうえに胃酸でも分解されにくく、少量でも下痢や嘔吐を引き起こす神経毒・・という厄介な性質を持っている。
さらに、加熱しようが冷凍しようが無害化できないため、食物に付着したまま体内へ入れば、必然的に腸まで届いて悪さを働くのである。
ちなみに、よく勘違いされるのが「黄色ブドウ球菌が暴れて、食中毒の症状を引き起こしている」という誤解だが、黄色ブドウ球菌自体が暴れているのではなく、彼らが生み出す毒素が腸管神経を刺激することで、症状が起きるのだ。
逆に、サルモネラ菌やカンピロバクター、ノロウイルスなどは、病原体自身が腸内の粘膜や細胞へ侵入することで炎症反応・・下痢や嘔吐、発熱、といった症状をもたらすのである。
ではどうやって、その腹痛が「菌やウイルスによるもの」か、はたまた「毒素によるもの」かを判断するのかというと、単純に発症までの時間の長短である。
細菌が腸内に感染することで起こる食中毒は、半日から数日(長ければ一週間後)の潜伏期化を経て発症するのに対して、毒素の場合は食後すぐか、遅くとも6時間以内には異変が現れる。
さらに、毒素の場合は発症が急激なのに対して、細菌やウイルスはゆっくり始まり徐々に悪化する傾向にある。また、毒素ならば発熱はないことと、検査をしても菌は検出されないのが特徴——先述した通り”毒素の影響”なので、黄色ブドウ球菌はもはや用済みなのだ。
——そんなことを考えながら、わたしはしばらくトイレに籠ることにした。これはもう、出し切るしかない。
よくある間違いとして、食中毒による下痢に対して「下痢止め」を使用する者がいるが、あれはやめたほうがいい。
そもそも、体内に侵入した細菌やウイルス・毒素のせいで起きている症状なのだから、そいつらをいかに速やかに排出するかがカギとなる。そのための”手段”として下痢や嘔吐が起こるわけで、それを止めてしまったのでは毒を体内で大切にしまっておくことになるからだ。
これらに対して、過敏性腸症候群など感染性ではない下痢の場合や、脱水防止を優先すべき事態の時などは、下痢止めを使用することもあるが、同じ下痢でも原因によって対処が異なるため、症状が辛いからといって何でもかんでも薬に頼るのは、愚かな行為と言わざるを得ないのだ。
そうこうするうちに、強烈な腹痛とともに沸々とこみ上げる吐き気を感じ始めた——こうなったらもう、精神力に頼るしかない。
なんといっても、わたしの持ち味は筋力である。そして胃腸は平滑筋でできており、不随意筋とはいえ筋肉であることは間違いない。ならば、主であるわたしの意志で筋肉の動きを制御してやろう——。
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こうして、持ち前の強靭な精神力と潤沢な筋肉により、無事に嘔吐を阻止したわたし。だがもうしばらくは、トイレに立て篭もることになりそうだ。
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