本日、格闘家の友人がチャンピオンになるべく、ケージという名の戦場に上がった。
それはまさに人生を賭す覚悟と努力、そして「頂点に立つ!」という強い意志が滲み出る、見守る者の目頭が熱くなるような、壮絶な戦いであった。
そんな晴れ舞台の裏側で、奇しくもわたしは、彼女とは異なる意味での「人生を賭す覚悟」と「見守る者の目頭が熱くなるような、壮絶な戦い」を目撃・・いや、正確には「少しだけ参加してしまった」のである。
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格闘技歴20年を迎える友人が、本日、2本目のチャンピオンベルトを巻いた。おまけに通算30勝の節目となる記録も樹立し、やはり持ってるオンナは違う。
・・と言いたいところだが、彼女は完全に"努力の賜物"なのだ。試合後に、
「運動神経もよくないし格闘技のセンスもないけれど、みんなが支えて応援してくれるから、あきらめずに続けてきてよかったと思える。格闘技が大好きだし最高の人たちに恵まれている、素晴らしい格闘技人生です」
という趣旨の話を涙ながらに語ってくれた時は、思わずもらい泣きしそうになったものだ。
プロ格闘家として活躍する選手の中で、チャンピオンベルトを巻くことができるのはごく僅か・・というより、ほとんどの選手はチャンピオンになることなく引退を余儀なくされる、とても厳しい世界である。
にもかかわらず、友人は2つの団体でそれぞれチャンピオンの称号を手に入れたわけで、そんな歴史的瞬間に立ち会えたことに、喜びとともに感謝を覚えたわたし。
ところがその15分前に、歴史的瞬間とまではいかないが、人生の大舞台となる"他人のイベント"に関与してしまったことを、ここに告白しよう。
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いつものごとく、試合開始ギリギリに目的地へ到着したわたし。ところが、最寄り駅から会場へとつながる通路は3階の高さにあったため、建物に入るとまずは1階へ降りるための階段を探さなければならなかった。
辺りを見渡すも階段やエスカレーターは見当たらない。その代わりにエレベーターが6基も設置されていたが、わざわざ使うほどの階数でもないので、少しウロウロしてみることにした。
(ん?なにかイベントでも開催しているのか・・)
大勢のヒトの気配を感じたわたしは、その熱気が漂う方向へと歩を進めた。するとそこには、今まさに披露宴会場へ入場しようとする、新郎新婦の姿があった。
なるほど、ここは結婚式場も運営していたのか——。
裸足でサンダルを引っ掛け、腕まくりのロンティーにピタピタのスパッツ、そして大きなリュックを背負ったわたしは、パッと見で「輩(やから)」だと分かる。
まぁ少なくとも、人生の晴れ舞台である「結婚式の関係者」ではないことくらい、誰がどう見ても認識できるわけで、新婦側であろう関係者から冷たい視線を向けられたわたしは、そそくさとその場を去った。
(・・・にしても、階段はどこだ?)
しばらくフロア内を散策するも、この階には披露宴会場が一つあるだけだった。
宴たけなわと思われる今、招待客を含む関係者は会場内で飲食を楽しんでいる頃だろう。そのため、階段の場所を尋ねる人間を見つけられないわたしは、渋々、元の場所へと戻ってきた。その瞬間——。
眩しいスポットライトがわたしを照らした。慌てて横を向くと、大きく開かれた扉から今まさに、さっきの新郎新婦が入場しようとしているではないか。
(し、しまった!!!)
こちらからは見えないが、会場内で待ち構える親族や友人・知人らは、各々の手にカメラを構えて、新郎新婦の晴れ姿を撮影しようとしているに違いない。
そんな最高の場面であるにもかかわらず、よくよく目を凝らすと二人の肩越しに"怪しい輩の姿"が確認できる——という危機的状況が、まさに今なのだ。
さらに咄嗟の判断で、わたしはしばらくその場に立ち尽くした。なぜなら、「今ここで急な動きをすれば、それこそ悪目立ちするに違いない」と考えたからだ。
そしてゆっくりと閉じる扉を確認してから、わたしはエレベーターに向かうべく踵を返したのである。
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結婚には「人生を賭す覚悟」が必要だと聞いたことがある。そして結婚式は、「見守る者の目頭が熱くなるような、壮絶な戦い(?)」という側面もあるわけで、わたしは一日で二度も、他人の人生の頂点を祝う場に、居合わせたわけだ。
——改めて思う。人生とは、驚きと偶然の繰り返しである。
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