政治家センター試験

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選挙というか政治家に対して、ものすごい偏見と嫌悪感を持つ私だが、政治家を選ぶ際の選出方法について、ひとこと物申そう。

 

 

テーブルに新聞紙があったので、ランチョンマットとして再利用してやろうと手に取ったところ、それは「参議院(東京都選出)議員選挙選挙公報」というものだった。

まぁ、新聞だろうが公報だろうが、ランチョンマットになることに変わりはないので、ビリビリとA4サイズに割き始めた。

破りながらもチラチラ流し読みしていると、なかなか面白い内容を発見した。

 

近年ではNHK党あたりがイロモノ政党として人気を博しているが、そんなNHK党の候補が素直なコメントを載せている。

「私は(おそらく)当選できません。しかし、」

なるほど。自らが泡沫候補であることを認識した上で、それでもNHKをぶっ壊すために立ち上がったのか。殊勝な徒労である。

 

さらに、思わず手が止まる面白い名前の党と候補者がいた。それは・・・あぁまた彼か!後藤輝樹(ごとうてるき)氏だ。今回は「メタバース党」を設立しての出馬である。

彼の政治家へのスタートは、今から11年前。神奈川県議会議員選挙が第一歩だった。

なぜかは覚えていないが、当時から彼は有名だった。ポスターやアピールが奇抜で目を引く、ということもあるが、そのデザインやワードチョイスはセンスがある。

 

2013年の都議会議員選挙では、パンダの乗り物に真っ白の全身タイツを纏ったポスターで、完全に「行け!稲中卓球部」を彷彿とさせた。

2015年の千代田区議会議員選挙では、全裸で日本刀を振りかざす本人が、「後藤輝樹」の文字で股間を隠すという、とんでもないポスターだった。

その後、2021年からは自身で設立したと思われる政党からの出馬を開始。まずは千葉県知事選挙に「ベーシックインカム党」から、続いて都議会議員選挙には「SDGs党」から、さらに葛飾区議会議員選挙は「後藤輝樹と世界を変える党」から、そして今回の参院選は「メタバース党」から出馬した。

 

結局、彼を追えばその時点での「流行り」が分かるのだ。そして落選したとしても、爪痕を残した落選と記憶にも残らない落選とでは、有権者にとってのインパクトが違う。

こうして後藤輝樹は毎回、あらゆる面で物議を醸すというか、話題に上るのであった。

これはこれで、一般人には真似のできない芸当である。

 

さらに新聞をめくると、「こんな党があるんだ!」という名前を発見。なんと「核融合党」である。

政治活動歴30年の、東京医科歯科大学卒のドクターが党の代表を務める。しかし、一般人からは党名だけで嫌厭されそうなネーミングだから、もう少しオブラートに包んだほうがいいのではなかろうか。・・・余計なお世話か。

 

核融合党の下には、「酒もパンも牛乳も、飲まず食わずに活動中」というキャッチフレーズが目に入る。動物愛護党からの推薦を受けての出馬らしいが、今どきこのレベルの発言はいかがなものか…。と思いながら具体策を見てみると、

「トランス脂肪酸の規制」

「薬は毒。日本人は薬を飲みすぎて病気に」

といった文言があるので、これらを意識してのキャッチフレーズなのだろう。

 

 

何が言いたいのかというと、選挙で選ぶべきは「政治家の適性がある日本人」であって、どこの政党かは後付けでいいだろう、ということだ。

たとえば一般企業における新卒採用の場合、部署や職種の希望はあれど、必ずしもその部署への配属とはならない。これと同様に、政治家を採用して配属先を決める方法ならば、候補者の最低限の能力が担保されるのではなかろうか。

 

ちなみに新聞社の入社試験では、ほとんどの就職希望者が「記者職」を希望するのだが、入社後の割り振りで営業や広報、人事、財務などに配置されることがある。

その後、幾度かの異動を経て念願の記者職に就いたとしても、取材には出られない内勤担当の記者だったりする。

無論、整理記者や校閲担当がダメだという話ではない。ただ、取材記者にあこがれて入社試験を受けたとしても、そう上手くはいかない現実が待っているということだ。

 

能力を買われてヘッドハンティングされたり、即戦力として採用されたりする以外は、その会社に籍を置くことがメインなわけで、職種の希望や適性はその後の話。

つまり、政治家もこれでいいのではないか。

 

イロモノ政党など党名だけで落選確実なことが多い。だが候補者自身は、とても優秀で政治家に向いているかもしれない。

いや、むしろその逆を憂うべきだし恐れるべきだ。有名な政党の候補者であれば、ある程度は党の看板と応援を担保に当選できてしまうのだ。

こんな選び方で、その人が政治家として能力を発揮し、職務をまっとうできるのだろうか?

 

私が思うに、まずは「政治家としての資質チェック」を行うべき。適性テストや最低限の学力テストを通過した者が、候補者となり選挙活動を行う。

そして有権者は「政界で活躍してほしい人物」に投票すれば、政治家として機能するか否かの部分に関しては間違いない。

 

その後、選挙という名の二次試験を通過した「職業・政治家」たちは、適宜各政党に割り振られ、各々のマニフェストに従い活動を行えばいいのだ。

「私はこの党で政治活動を行いたい!」

そういう意見もあるだろう。ならば、第三希望まで配属先の党を聞いておこう。

とはいえ、公務員ですら第一希望の部署へなど異動できないわけで、政治家としてプロの意識があるならば、そこは我慢して配属先の政党の方針に従ってもらいたい。

 

私のアイディアに反対意見があることは承知している。しかし、そもそも適性のない者が政治を行うよりも、能力のある人間に遂行させたほうが成果は期待できる。

陸上競技でリレーのメンバーを決めるのに、タイムを優先しない選考方法などありえない。その上で、コンスタントに速く走れるとか、コーナーが上手いとか、スタートがいいなどの要素を含めて、メンバーを決定する。

「タイムは遅いけど、やる気だけはあるので走らせてください!」

これで負けたら、チームは崩壊するだろう。

 

とにかく、日本における政治というやつは、時代錯誤で既得権益に囚われた、古くてダサイフィールドである。

 

加えて、民主主義やらダイバーシティやらをはき違えている気がする。得意な人に得意なことを任せるほうが、仕事でも競技でも好成績が望めることくらい、誰しもが分かっているはず。

にもかかわらず、票が集められそうな候補者をあちこちから集め、「これこそが多様性!」などと言われた日には言葉を失う。

 

そんな現状において、政党の大きさや個人の知名度で当落が決まるような「寒いゲーム」に、投票という名の補助参加を強制されたところで、国民が挙って協力するとでも思っているのだろうか。

 

…というわけで、センター試験ならぬ「政治家適性共通テスト」で、まずは政治家としての最低限の能力判定をすべきというのが、私の考えである。

 

(こんなことをしたら、日本から政治家が消えるかもしれないが・・・)

 

サムネイル by 希鳳

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