老人と俺  URABE/著

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(オレはもう二度と、遅刻などしないだろう)

 

そんな確信に近い手ごたえをひしひしと感じた。JR中野駅から数百メートルほど離れた道端で、オレは小さくガッツポーズをした。

 

 

どうやらオレの周りは時空が歪んでいるらしい。オレ自身だけでなく、オレと時間を共にした奴らは皆、約束の時間に遅刻をする。そして必ず、

「また時空の歪みが発生した!」

と大慌てでオレの元を去って行く。こうして何人もの友達を失ってきたのだが、自分のこととはいえオレにはどうにもできない。

 

今までの人生で一度だって、遅刻を悪と思わなかったことはない。この世の生物には、一日24時間が平等に与えられているわけで、他人の一分一秒をオレが奪っていいはずもないからだ。

子どもですら理解できる当たり前の思考であり、当然、オレも十分承知している。だがそれでも勝手に時空が歪むのだからもはやお手上げ。そんなオレに対して友人はこう言った。

「早く着いて目的地で待っていればいい」

たしかにその通りだ。ところが目的地付近に早く着いたオレは、その辺のカフェに入る癖がある。その結果、なんだかんだで予定時刻を過ぎるという失態を犯す。

これもすべて時空の歪みのしわざだ。

 

そして今日、待ち合わせ時刻より30分ほど早く最寄り駅に着いてしまった。目的地までは駅から徒歩4分、このまま直行すれば長時間立ち尽くすこととなる。ふと見上げた駅ビルの2階にはカフェが見える。

(今からあそこへ行って、コーヒーを注文して受け取って、猫舌のオレがそれを飲み干すまでに何分かかるだろうか)

さすがに微妙すぎる。しかも待ち合わせ場所は飲食物の持ち込みが禁止のため、飲みきれなければ捨てることになる。それはどう考えてももったいない。

 

駅の近くに公園のような休憩場所は見当たらず、腰掛ける物もない。かといって大荷物を抱えたまま突っ立っているのも、罰ゲームというか苦行でしかない。ってことは、少しでも動いているほうがまだマシかもしれないな――。

 

そんなことを考えながら、とりあえず目的地の方向へと横断歩道を渡り始めた。ゴールデンウィーク真っ只中ということもあり、17時前にもかかわらず大勢の人間たちがうごめいている。

とその時、目の前の老人にぶつかりそうになり、慌てて歩調を緩めた。

杖をつきながらゆっくりと、右足を左足の横へと揃える。そしてまた杖を前に出し、小さく左足を進めては右足を追いつかせる。その繰り返しで、少しずつ道路の向こう側へと近づく老人。

(てか、このままじゃ信号変わっちまうだろ)

急かそうにも無理がある。かといってオレが背負ってやるにも荷物が邪魔をする。男同士で手をつないで仲良く横断ってのも、ガラじゃねぇし――。

 

オレはその時ひらめいた。思わず「あっ」と声が漏れてしまうほどに、未だかつてない妙案を思いついたのだ。

(このじいさんと同じ速度で歩けば、目的地へ早く着くことはない!)

杖をつきながらゆっくり歩く老人に向かって、早くしろだの邪魔だの言う外道はいない。同様に、松葉杖を使いながら歩く怪我人に対して、遅いなどと文句をつける愚か者はいない。

ということは、オレも怪我人を装えばいいんだ。怪我人のフリをしながらゆっくり歩けば、到着時刻を調整することができるし、それゆえ遅刻することもない。

 

杖がないので外見からは判断しずらいが、膝の靭帯を傷めた際に足を引きずりながら歩行していた過去を思い出す。――あの要領でやってみよう。

 

オレはすぐさま目の前のじいさんを見習いつつ、ゆっくりと右足を引きずり始めた。つま先をやや外に開き、脚の内側を前に向ける感じで歩を進める。おまけに大荷物を抱えているため、通行人の目には

「怪我をした右膝をかばいながらも、なんとか先へと進もうとする健気で殊勝な男」

という風に映るだろう。悪くない。

 

こうしてオレは、じいさんと共にゆっくりと着実に前進を続けた。言うまでもなく、信号は途中で赤になった。だがオレたちはそんなのお構いなしに、しっかりと地面を踏みしめながら前へ前へと一心不乱に歩き続けた。

脚の悪いじいさんと、脚を怪我したオレ――

顔すらも見たことのない間柄だが、この瞬間だけは「師匠」と呼ばせてくれ。オレはあんたの背中をいつまでも追い続けるぜ、じいさんよ。

(了)

 

サムネイル by 希鳳

 

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