この年になって「道明寺」へ入寺するとは。

 

中年になってから出会う物事は、若い頃から慣れ親しんでいるそれらに比べると、変に魅力的・・いや、魅惑的に感じるのはなぜだろう。

おそらく、刻々と寿命に近づいていることで、すべての物事に固執しがちになった結果、鈍い光すらもまばゆく見えるのかもしれない。まぁ、それはそれで幸せなことだが、とはいえそのせいで病気にでもなったら元も子もない——これは、罠かなにかなのか?

 

なにを隠そうつい先日まで「究極のあんこ嫌い」だったわたしが、生まれて初めて「道明寺」という和菓子に手を出したのだ。それどころか、「桜もち」「草餅」「おはぎセット」に加えて「栗あんだんご」という、錚々(そうそう)たる”あんこの商品”を、自ら率先して購入したのである。

 

記憶にある限り、少なくとも幼稚園の頃からあんこが大嫌いだったわたしは、常にあんこの嫌がらせに悩まされてきた。

関西出身の母は、正月になると毎年「求肥(ぎゅうひ)」で作られた美しい和菓子を並べていたし、事あるごとに「赤福」を買ってくる謎の習性があった。さらに、どら焼きや温泉まんじゅうといった、あんこが内臓されている爆弾をテーブルに常備しているため、子どものわたしは恐怖と嫌悪にさらされる日々を強制されていたわけだ。

 

そんな幼少期からすると、今のわたしは信じられないどころか、もはや「別人」だろう。あれほどまでに毛嫌いしてきた憎きあんこを、自らの手で取り己のために自腹を切って購入するなど、正気の沙汰とは思えない奇行だからだ。

それでも、つい先日「食べ物」として認識するようになったあんこに対して、物珍しさや関心を抱くのは自然なこと。なんせ、これまでの人生で常に敵対してきた相手と、ここへきてようやく和解を果たしたのだから、互いに手を取り歩み寄るのがスポーツマンシップというもの。

そう考えたわたしは、率先してあんこの商品・・主に「和菓子」に興味を示すようになったのである。

 

相変わらず「美味い」とは思わないが、あんこを口にすることへの違和感が消えたのは大きな進歩といえる。しかも困ったことに——いや、ありがたいことに、わたしの大好物である「もち米」や「だんご」との相性がいいため、それこそ食べ物のレパートリーが圧倒的に増えたのだ。

中でも、主食として「赤飯」が食べられるようになったのはデカい。コンビニで(唯一残っている)赤飯おにぎりを買うことができたり、白米ではなく赤飯が詰められた弁当(これしか残っていない)を選ぶことができたりと、今まで見向きもしなかった商品に目が向くようになったのは、我が人生における新たな出発点ともいえる。

 

そんなわたしは、前々から興味のあった「道明寺(どうみょうじ)」という和菓子にチャレンジすることにした。

 

道明寺とは、いわゆる「関西風の桜もち」のことで、大阪にある道明寺という尼寺で作られたのが由来。材料として、道明寺粉と呼ばれる”蒸したもち米を乾燥させて作る粉”を使用しているため、もち米のつぶつぶ感や粘り気のある咀嚼を楽しめるのが特徴。

これに対して、小麦粉で作られた皮にあんこを包み、塩漬けした桜の葉で巻いたものが「関東風の桜もち」である。

(・・にしても、巻かれている葉っぱを食べるのか食べないのか。この期に及んで気になるではないか)

 

そもそも、桜もちと縁がないどころか関わりを避けてきたわたしにとって、巻いてある葉などどうでもいい存在だったが、今こうして目の前に置かれると絶妙に困惑する。

日頃から、果物や野菜の外皮はもちろん、イチゴやトマトのヘタすらも食べるわたしからすると、この葉っぱは可食部であり食べて当然のアイテム。だが、さすがにその辺に生えている樹木の葉を貪り食うことはないわけで、果たしてこの「立派な広葉樹の葉」は、食べ物なのか否か——。

 

仮に、もち米でできた道明寺の本体を食べる際、指で直に触れるのを防止するために巻いてあるのだとすると、これは「包装紙」や「サランラップ」と同じ扱いになるため剥がして食べるのが正解だろう。だが、ここまでベッタリ貼りついていれば、むしろ剝がす作業のほうが難しい。となれば、本体と同時に噛みきるのが正解か。

 

その昔、我々の先祖はおにぎりを笹や竹の葉っぱで包んで持ち運びしていた。葉っぱのサイズがちょうどいい上に耐久性があるのは勿論のこと、殺菌や防腐効果により食中毒を防ぐ目的もあったのだそう。

そんな、自然との融合を得意とする日本人が作る「和菓子」は、わたしの知らない世界であり探求心をくすぐる存在でもある。

 

 

ダイエットのため、チョコレートやチーズケーキといった脂質の多いスイーツを控える食生活を始めたところ、これまた偶然か必然か「あんこ」という低脂質の甘味と出会うことになった。そして今、あんこだらけのショッピングバッグをぶら下げて、いそいそと帰宅の途に就くわたしがいる。

このままでは、本来の目的である「糖尿病を予防する」とか「内臓脂肪を減らす」といった、未病改善または健康促進のためのダイエットが頓挫することになるし、むしろ糖尿病を助長するのではなかろうか——?

 

あぁ、人生というのはいつ何が起こるのか、誰にも予測できないものである。