日本にいても、人里離れた山奥ならばそうなるのだろうが、アメリカの砂漠地帯にポツンと誕生した都市・ラスベガスで過ごしていると、「ないものねだり」をしない(できない)ことによる副産物の効果に、感謝せずにはいられない瞬間がある。
たとえばピアノがそれにあたる。こちらで世話になっている友人の家には、当たり前だがピアノはない。そのため、過去には持ち運びができる鍵盤グッズを持参したこともあるが、あれほど無意味かつ感性をダメにする商品はなかった。
そもそも、何のために「鍵盤」を持ち歩くのかといえば、「ピアノが弾けなくて不安だから」に他ならない。そして、その不安を払拭するために鍵盤へ触れるわけで、となるとそれはもはやピアノの練習ではないのは明らか。
己の精神安定剤として「鍵盤もどき」に触れるなど、子供だましの幼稚な偽装に過ぎない。仮に、そんなことで気持ちが満たされたとしても、ピアノという楽器を演奏する点に関しては、微塵の上達もないどころかマイナスの効果しか得られない・・という事実を、覚えておかなければならない。
ちなみに、運動でもなんでも同じだが、その場所へ行っただけとか、とりあえずやってみただけで「あぁ、今日もちゃんとやったぞ!」と、勘違いの満足に浸る者は多い。
それはそれで悪くはないが、競技なり演奏なりの観点からすると、その行為はむしろやらない方がいい「最悪の罠」となる。
ピアノの師匠が言っていたが、「心身ともに健康な状態でなければ、ピアノを弾くことはできない」という言葉は、まさにその通りだと思う。
まず、身体が病気や怪我で不完全な場合、それを我慢して練習をしたところで、”最高の演奏”は決して生まれない。同様に、精神的に余裕がなかったりネガティブな状態だったりすると、演奏に集中できないため、結局のところ宙ぶらりんで中身のない空っぽな練習にしかならない。
そんな「心身の不完全な状態」を推してまで、必死に”練習”という行為にしがみついた先には、究極の勘違いと悪い癖のみが残る。そして、それに気づくのは自分自身が健全な時——。
(こんな変な癖が身に付くくらいなら、あのとき無理に練習なんてしなければよかった・・)
などと思った時には後の祭り。まずは、悪い癖をゼロに戻す練習からのスタートとなるわけだ。
だからこそわたしは、ピアノのない環境へ行く際は、楽譜だけを持参する。
鍵盤がなくても音が出なくても、やるべきことはたくさんあるし、むしろ答えの出ない環境だからこそ、イメージを膨らませることや本質的な部分にまで神経を張り巡らせることができる。
さらに、そんな時だからこそ気付きや発見がたくさんあるし、テーブルの上で指をカタカタ動かしていると、不思議と脳内で音が鳴るのだ。むしろ、こうあってほしい音が聞こえるわけで、実際に打鍵したのではこの音は出ない。
そんな「理想の音」を植え付けることができるのは、脳をフル稼働させてイメージを作ることに集中した時のみ。要するに、実際に音が出る環境では叶わない訓練なのだ。
エアーでピアノを弾いていると、見えないものが見えてくる。
たとえば鍵盤は、指が触れている部分だけでなく、そこから向こうへずーっと伸びており、その先にあるハンマーがテコの原理で弦を叩くことで音が鳴る——その様子が透き通って見えるではないか。
そのおかげで、指を動かす「意味」が理解できるのだ。
スイッチのオンオフのように、指の上げ下げで音が出るのではなく、打楽器としてハンマーが弦を叩くことで音が出る・・という、複雑かつ距離感のある発音の仕組みが見えると、指先をちょこちょこ動かすことではなく「ハンマーをどう当てるのか」こそが、重要な動作であることに気付くのだ。
そうなると、音の聞こえ方も変わってくる。今までは指先から鳴っていた(と思っていた)音が、じつはもっと遠くのほうで発生していたわけで、そうなるとこちらの構えも変わるのだ。
たとえば、近くで聞こえる微かな物音と、遠くで鳴っている微かな響きと、いずれも小さな音ではあるが、それぞれ「聞き方」が違うということを理解しているだろうか? この違いが分からずして、音色を聞き分けることはできない・・と、わたしは思っている。
音の大小のみならず、奥行きや広がりといった立体的な音色を味わうためには、まずはそれを聞き分けられる耳が必要。そして当然ながら、演奏する側もその音を出さなければならない=その音が聞こえていなければならない。
そんな耳を作るべく、わたしは理想の音をイメージして脳内で再生しているのだ。それができるのは今だから——ピアノという物理的な楽器がない今だからこそ、なせる業なのである。
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もしもピアノに触れられる環境にあれば、実際の打鍵を我慢してまで脳内トレーニングを選択する勇気は、残念ながらわたしにはない。だからこそ、今のこの状況は天が与えし最高の環境なのだ。
よって、少しでも自分の理想を広げるべく、今日もまたカタカタとエアーでピアノを弾くわたしなのである。











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