美容師が「すごい」と思うのは、客の髪の毛を切ったり染めたりする前に、脳内ですでに完成形がイメージできることだ。
対するわれわれ素人は、「切ってみなけりゃ分からない!」と前髪をちょっと切るだけでも適当にハサミを入れてしまい、その結果、5分後には悲劇に見舞われるわけで——。
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「とりあえず、真夏のラスベガス!みたいな感じで」
生まれてこの方、髪型について具体的な要望を口にしたことのないわたしは、毎回希望を聞かれるも、適当な会話からの「美容師におまかせ」で仕上がっている。よって、わたし自身がどうのこうのではなく、美容師の気分次第で「わたしの未来」が決まるのだ。
そして今回は、これまた無責任かつ漠然としたイメージを伝えたわけだが、鏡越しにわたしを見ながらしばらく考えた美容師である友人は、「わかった、やりましょう!」と言っておもむろにカットを始めた。
ある程度長さを整えたところで、今度はカラー剤の調合をすると、髪の毛全体へペタペタと塗り始めた。
カラー剤(クリーム)を頭髪へ塗る作業というのは、される側はなんとも気持ちがいいものである。塗られている頭皮の感覚も、塗布する際の刷毛(はけ)の音も、そしてカラー剤の微妙なテクスチャーも、すべてが心地よくてうっとりしてしまう。
(一方で、その成分が人体にとって有害であることに怯えつつ・・)
ちなみに、カラー剤というのは塗布した後に10分程度の時間を置かなければならないため、頭にサランラップを巻いた状態でしばし放置。その間も、未来の自分がどのような髪型・髪色になっているのかは、わたしには分からない。この時点で分かっているのは、美容師である友人ただ一人。
・・いや、もしかするとカラー剤の塗布を手伝ったもう一人の美容師も、「およそこんな感じの色になるだろう」というくらいは、想像していたかもしれない。とどのつまりは、わたしだけが”未来の自分がトウモロコシなること”に、気づいていなかったのだ。
カラー剤が毛髪にしっかりと染みこんだ後、シャンプー台へ移動して髪の毛を流した。その間も、自分の髪の毛の状態を知る機会はなく、ただただ仰向けに寝転んで肉を与えてもらったり昼寝をしたりするだけだった。
そしていよいよ、大きな鏡がそびえ立つセット面へと戻ってきたわたしは、己の顔を・・いや、頭を見て驚いた。なんとそこには、トウモロコシ神が鎮座しているではないか!!!
要するに、先ほど頭にペタペタ塗っていたのは、カラー剤ではなくブリーチ剤だったのだ。そして今、黒色を失ったわたしの髪の毛は黄金に輝いている。それはまるで、採れたてのトウモロコシのように——。
(顔面の圧が強いわたしならば、髪の毛の色が何色であろうが、髪の毛の長さが何ミリであろうが、それなりに馴染んでしまうので問題はない。だが、70歳を超えるピアノの師匠はどうだろうか。驚きのあまり、破門されるなんてことはないだろうな・・)
トウモロコシ神になれたことは満足だが、それによる弊害は避けなければならない。そこでわたしは、すぐさま師匠へメールを送った。
「生きたまま棺桶に入れられたことで、半狂乱となったわたしは髪の毛の色が抜け落ちてしまいました。」
さて、師匠はこの髪色を受け止めてくれるだろうか——。
翌日、師匠の家を訪れたわたしは恐る恐る玄関のドアを開けた。すると、
「あら、思っていたより普通じゃない。海外へ行けばそんな色の人ばかりだし」
と、むしろガッカリさせたのではないか・・と思うくらい飄々とする師匠を見て、安堵よりも申し訳なさでいっぱいになった。
さすがはピアニスト、というかアーティストである。髪の毛の色ごときで動じることはなく、むしろ「普通」と言ってしまうのだから恐れ入る。
見た目にコンプレックスを抱きがちな日本人は、頭髪や目および肌の色、服装、メイクなど、ヒトを外見で判断する傾向にある。とはいえ、つい170年前までは外国人など一人もいない純然たる島国だったのだから、そういう傾向なのは仕方がないことではあるが。
トウモロコシ神へと進化した奇異な弟子を、ごく普通に受け入れてくれた師匠に感謝しつつ、何事もなかったかのようにせっせと鍵盤に向かうわたし。
そこには、髪の毛の色などいかに些末でどうでもいいことなのかを示す、厳しい現実が待っていた。
——そう、たとえ髪の毛の色が金色(こんじき)になっても、たとえわたしがトウモロコシ神へと進化しても、わたしのピアノは、いや「わたしの中身」は昨日と同じ。よって、いつもどおりの無骨で粗野な演奏をする弟子に、いつもどおり的確な指摘をする師匠という、いつもどおりのレッスンが進むのであった。
(あぁ、どうせならモーツァルトやショパンにならないと、トウモロコシじゃ意味がなかったな・・)
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とはいえ、街中でガラスに写る自分を見た瞬間、「え、誰??」となる茶番は、しばらくの間は続きそうである。










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