一般的に「人生は、遺伝子のみならず環境によって変化する」と言われているが、ラマルクの「用不用説」が事実であれば、じつはもっと深い部分までDNAによって決められていることになる。そうなると、己が目指す世界において有利とはいえないDNAで生まれた場合、ひたむきに努力をするというのは残酷な行為にほかならない。
だが、自分自身にどのような適性があるのか、また、その分野について意欲的に取り組むことができるのかは当人次第であり、仮にDNAですべてが決まっていたとしても、その道へ進むか否かは運命次第ともいえる。
加えて、適性のある者だけが集まったとしても、そこでさらに能力の優劣によって序列が決まるわけで、どこまでが才能で決まるのかは明確に区切れないものなのかもしれない。
そんなことを考えさせられたのは、興行収入200億円を突破した大ヒット映画、「国宝」を視聴したのがきっかけだった。
将来が約束された上方歌舞伎の御曹司と、父親は極道で歌舞伎とは無縁であるにもかかわらず、「女方(おんながた)」の非凡な才能がある主人公とが、切磋琢磨しながら女方の頂点を目指すストーリーなのだが、奇しくも歌舞伎の御曹司より極道の息子のほうが、歌舞伎役者として光るものが——。
もしも血筋(DNA)が勝るならば、御曹司のほうに才能があって当然。だが、そうとも限らないのがこの世界の残酷・・いや、面白いところ。そもそも、極道の息子が父親を殺されて天涯孤独となったことや、そのタイミングでたまたま上方歌舞伎の名門当主に見初められたことなど、偶然のような必然が重なった結果、主人公は歌舞伎の世界へと足を踏み入れていった。
まぁ、父親は職業として任侠を選んだというより、なるべくしてなった(押し上げられた)感じなのだろうから、それが天職というわけではなかったはず。だが、息子が女方の才能を開花させる場を得られたことはラッキーで、それは親が極道だったからこそ可能なシチュエーションでもあった。そう考えると、DNAがそう仕向けたのだろうか。
血筋が重要となるのは、人間の世界でいえば真っ先に天皇家が思い浮かぶが、馬の世界にも明確な血のつながりが存在する。競走馬としてコースを駆け巡るサラブレッドたちは、どこまでも遡ることのできる血統を持っており、父と母さらには母父の相性など、総合的にみて「走る馬」を誕生させるべく、いい意味で強制的に交配させられる。
だが、時には無名の両親から怪物が生まれることもある——例えばオグリキャップのような。地方競馬(笠松)出身のオグリキャップは鳴り物入りで中央入りし、引退を迎える年までは破竹の勢いで勝ち星を重ねた・・といっても、馬券を買う身としては2着や3着も含めての貢献度なのだが、競馬をやらない人でも「オグリキャップ」の名前を聞いたことがあるくらい、国民から愛されたスターホースである。
そんな名馬ではあるが、先にも述べたとおり両親は無名かつダート血統ゆえに中央競馬(芝)を走るとは思えなかった。さらに、子どもたちもオグリほどの活躍(重賞を勝利するような)をみせる馬は誕生しなかった。となると、あれは突然変異のようなものだったのだろうか——。
ちなみに、もしも「環境」に由来する条件があるとすれば、それは安藤勝己騎手の存在だろう。笠松競馬所属だった安藤勝己騎手(通称、アンカツ)は、オグリキャップの主戦ジョッキーとして1着を量産してきた。そして彼もまた、地方競馬における驚異的な記録を残した天才であり、地方競馬と中央競馬の「橋渡し役」となった重要人物でもある。
芸術やスポーツなどの”業界”は得てして閉鎖的なもので、日本における競馬界もまさにそうだが、そんな垣根を取っ払って活躍したのがアンカツだった。そして、アンカツの父は騎手ではなく料理人(のはず)だったわけで、まさに「国宝」の主人公と同じく無関係やジャンルからの参入にもかかわらず、才能を発揮した天才なのだ。
アンカツは「オグリキャップから教わることのほうが多かった」と発言しているが、オグリキャップにしてもきっと同じ感想を抱いていたのではなかろうか。自分の走りを最も自分らしくやらせてくれる鞍上との出会いは、まさに一期一会なのだから。
(サラブレッドにとって、馬自身のポテンシャルも当然のことながら、それを最大限に発揮させてくれる騎手の存在こそが重要となる。だからこそ、自分が名馬になれるかどうかは鞍上にかかっている・・といっても過言ではないだろう)
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そんなわけで、9割方「血筋が重要」で異論はないが、残りの1割で「モンスター級の天才が紛れ込んでくる可能性」を否定できないのがこの世の常。
それでも、血筋や家柄を守るべく実力や才能の壁にもがき苦しむ者がいるのも、悲しいかな現実なのである。










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