敗者が残したもの

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今日はなにかと"勝ち負けを競う者"が多い日だった。わたし自身は何一つ競っていないが、目にするあるいは耳にする話題といえば「勝ち負け」のことばかり。そして残念ながら、記憶に残る勝負はすべて「負け」だった。

じゃんけんだってにらめっこだって、言い方はシビアだが必ず敗者が生じるわけで、小さなお遊びから重大な決着まで、この世は一握りの勝者と無数の敗者でできている。だからこそ、今日一日で生じる"負け"など特別なことではないのだが、それでも当事者にとっては"特別な負け"となる場合もあるのだ。

 

中でも、友人・知人の負けは自分のことのように残念な気持ちになる。自己中心的なわたしは、友が勝ったところでどうも思わないのだが、その反面、彼ら彼女らが覚悟を持って挑んだ勝負に敗れたとなると、モヤモヤと絡み合う排水溝に詰まった髪の毛のように、なんとも複雑な感情が溢れるのであった。

 

 

一つ目の負けは柔術の試合だった。他のどのカードよりも、美しく丁寧かつ緻密な試合運びの友人は、一進一退の攻防を続けるも負けてしまった。それでも見ているこちらからすると、動きのしなやかさと先を読む展開の速さに見惚れるわけで、価値のあるいいゲームを視聴できたことに感謝した。

だが願わくば、過程と結果が繋がる試合であってほしかった・・というのが個人的な想いであり、友人に軍配が上がらなかったことは悔しい限りである。それでもやはり、本人がもっとも悔しい思いをしているのだから、ここは静かに称えることとしよう。

 

もう一つの負けは、身近なプロ格闘家の凋落だった。プロというのは勝敗に加えて試合内容も評価されるため、選手本人のプレッシャーは想像を絶するだろう。それゆえに、試合へのモチベーションが維持できなくなれば、体力や技術に問題はなくとも契約書へのサインをためらうことに。

とはいえ人生を賭けてリングに立つ姿は、観客のボルテージを上げ闘争心をかき立てるもの。そんな非日常的なドラマだからこそ、見る者を魅了するのだ。

・・などと、どれほどの御託を並べようとも、大勢の期待と希望を背負った彼がリングに沈む姿は、やはり見たくはなかった。他人の人生とはいえ、わたしの中にもぽっかりと穴が開いたようで、やっぱり最後まで立っていてほしかった。

 

一方、巷はパリ五輪で盛り上がっているが、メダル候補として名前が挙がっていた選手が相次いで崩れる・・という事態に、驚きを隠せないのと同時に気の毒でならなかった。

世間知らずの一般人からすると、日本代表=表彰台に上がる人間とでも思っているのだろうか。それを、参加国すべての国民がそう信じていたならば、各競技三人ないし四人を除く全員が、「税金泥棒」という汚名を着せられることになる。

 

四年に一度のチャンスをものにするだけでも困難な上に、万全の体調で本番を迎え強敵と魂を削り合う・・という、地獄のような奇跡の先にメダルが待っているわけで、実力に加えて運も味方しなければたどり着かない境地。そして、世界ランキング上位の選手らは皆、表彰台に上がること延いては一番高い位置に立つためだけに、オリンピックに参加しているという事実——。

そんな戦場において、聞いているこちらが耳を塞ぎたくなるような、悲痛な叫び声と嗚咽が響いた。・・そう、彼女は金メダルを期待されながらも、2回戦でその夢を断たれてしまったのだ。

これまでの道のりを振り返ると、言葉よりも涙と絶叫がこぼれたのだろう。会場内で崩れ落ちる彼女の姿は、画面越しにも涙を誘うものだった。——あと四年、どんなに早くてもあと四年は待たなければ、この舞台に戻ってくることはできないという過酷な現実。

 

その他の競技でも、有望選手の予選敗退や誤審まがいの物議を醸す試合など、涙を呑む結果となるシーンがいくつもあった。その一方で、堂々と金メダルを掲げる日本人選手もいるわけで、嬉しさと無念が次から次へとやってくる忙しい一日となった。

それでも、わたしの脳裏に刻まれているのはなぜか敗者の姿だった。

選手たちには大なり小なり、試合当日までの険しくも濃厚な時間があっただろう。そしてすべては、試合終了の瞬間に勝ち名乗りをあげるための時間だったわけで——。他人事ながらもそんなことを想像すると、勝敗以上のなにかを感じさせられるのであった。

 

この先、彼ら彼女らがどんな競技人生を歩むのかは分からないが、今回の負けは"人生において"価値ある負けだったことは、紛れもない事実である。なぜなら、われわれの心をギュッとつまむような、なんともほろ苦い複雑な感情を与えてくれたのだから。

それにしてもいつだって、勝ったことより負けた思い出のほうが勝るのは、なぜなんだろう——。

 

Illustrated by 希鳳

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