突如バルクアップした咬筋

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わたしの体で何かが起きている——。

突然、キーボードに触れたら粉砕してしまったり、水道の蛇口をひねったら取れてしまったりと、そこまでの大幅なパワーアップではないが、もしかすると明らかに筋肉が発達してしまった可能性がある。

どこの筋肉かといえば、アゴだ。

 

元来、咬筋がやけに発達しているわたしは、箸や歯ブラシを折損させたことがある。

最初の不幸は箸だった。材質は忘れたが、見るからに立派で高価そうな箸を使っていたわたしは、食べることに夢中で思わず箸まで噛んでしまったのだ。

(あがっ!)

決して硬い食材を咀嚼したわけではないので、当然ながら全力で噛んだわけではない。そのため、いったい何が起きたのか理解できなかった。

 

なんらかの硬質な物体が破壊された音がするが、歯が折れたわけではなさそうだ。その証拠にどこも痛くない。そして、いま咀嚼しているのは熱々のジャガイモであり、バキっというような硬質な音が発生するわけがない。ということは——。

口の中へ突っ込んだ箸をそっと取り出す。あぁ、やはり折れている。

 

もらい物の高級箸が、一瞬にして使い物にならない棒切れとなった。それでも、なにか使い道がないかと頭をひねるが、なにも思い浮かばない。

(バーベキューの焚き付けくらいか・・)

着火剤以外に適任はないと踏んだわたしは、折損部分がささくれのようになった惨めな箸を、しぶしぶゴミ箱へと放り込んだ。

 

次は歯ブラシだ。あれは寝ぼけていたわけではないが、歯を磨きながら急な用事でメールを作成していたときのこと。キーボードをカチャカチャと軽快に叩きながら、まるでチュッパチャプスをくわえるかのように歯ブラシをくわえていたわたし。

(よし、できたっと!)

歯ブラシのヘッドは右奥歯の内側に添えてあり、そこから伸びる歯ブラシのハンドルを右奥歯でしっかりと噛みしめていたのだが、あまりに長時間くわえていたせいか、口周りの感覚が麻痺していた模様。

そこでなぜか——本当に意味不明だが——、わたしは全力で奥歯を噛みしめたのだ。

 

バキッ

 

歯ブラシを破壊して初めて、わたしは歯ブラシをくわえていたことに気が付いた。だが、まさか樹脂でできた歯ブラシの柄の部分を、勢いをつけることもなく噛み砕くなどとは、予想だにしなかった。

それでも事実として、歯ブラシは真っ二つに折れたのである。

 

このように、人間離れした咬筋の持ち主であるわたしは、噛む力を弱めるために何度もボトックスを打ち込んだ。それでもほぼ効果はなく、いつまで経っても強靭な噛み力は健在だった。

 

そんなわたしに異変が起きた。それはカットスイカを食べているときのこと——。

(ムッ!まただ・・・今日に限ってなぜこんなにも噛砕するのか)

いつものように、赤くみずみずしいスイカに舌鼓を打っていたところ、ガリッと鈍い破砕音とともに、嫌な苦味が舌を刺激した。そう、スイカの種を噛み砕いてしまったのだ。

 

これでもう4つ目だ。しかも、決して急いで食べているわけでも、種の選別を怠っているわけでもない。いつも通り、アウアウと果肉を甘噛みしながら、徐々に種をあぶり出していたにもかかわらず、気付くとなぜか誤って種を噛んでいたのだ。

 

念のために繰り返すが、わたしはアウアウと甘噛みしているわけで、決してしっかり噛みしめているわけではない。それなのにスイカを食べ始めて数分で、すでに4個目の種を粉々にしているのだ。

これはもしかすると、わたしにとっての甘噛みは一般的には全力噛みなのかもしれない。いや、少なくとも昨日まではそうではなかったが、今日なんらかの突然変異により、わたしの咬筋が恐ろしくバルクアップしたのだろう。

 

ちなみに、仮にそうだとしても特に問題はない。だがスイカを食べているときに、誤って種を噛み砕いてしまうのは非常に困る。

経験者には理解できるだろうが、スイカの種ほど不味いもの、正確には、スイカの味を帳消しにするほどの強烈な味の種子はない。見た目からは想像もつかないほどの青臭さと、なんとも不協和な木材っぽさが、ジューシーなスイカの甘みを一気に打ち消してしまうのだ。

それなのにわたしは、そっと甘噛みしただけでスイカの種を噛砕してしまうのだから、どうしようもない。

 

(わたしの咬筋に、いったい何が起きているんだ・・・)

 

そんな謎の不安に苛まれながらも、スイカを食べ、いや、吸い続けるのであった。

 

サムネイル by 鳳希(おおとりのぞみ)

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