(な、なんだこのちゃんとしてる感は・・)
なぜ同じ果物であるにもかかわらず、ひと口でここまでの違いを感じることができるのだろうか。
たとえばチョコレートを頬張ったとき、「これはゴディバ特有の苦みだな」とか「日本のチョコレートはまろやかさが違うな」というように、チョコレート自体の違いや特徴を感じることはあるが、そこに優劣をつけるのは難しい。
さすがに、ノベルティ程度の廉価なチョコ・・すなわち準チョコレート(チョコレートに比べて、カカオの質が低かったり量が少なかったり、油脂の種類が違ったりする)の中でもロークオリティの商品であれば、反射的に優劣がつく。だが、コンビニで売られている庶民レベルのチョコであっても、高級か否かというより「美味さ」の観点ですでにハイクオリティのため、メーカーや商品による差を感じることはあっても優劣をつけることはできない。
このように、大した舌を持ち合わせていないわたしは、なにを食べても大体「美味い!」と評するわけで、そこに優劣をつけるほどの余裕はない。
だが、本日もらったカットフルーツは、日頃から口にしているそれらとは違う高級感があった。明らかに「優れた果実が詰め込まれている」と、口へ入れた瞬間に感じたのである。
そのカットフルーツは、東武デパートの地下で売られているものだが、容量がズッシリな分お値段もそれなりだった。とはいえ、シロガネーゼの底辺を自負するわたしは、近所にあるクイーンズ伊勢丹という高級スーパーを愛用しており、さすがにお値段も安くはない。
しかしながらわたしは、タイムセールが始まる頃に店を訪れて、20パーセントや40パーセントの値引きシールが貼られたカットスイカや焼き芋を買い漁るため、他の顧客より安価で果物や焼き芋を手に入れているのも事実。
(もしかすると、値引き後の商品に舌が慣れているからなのか——いや、そんなはずはない。記載された賞味期限は「当日の23時半」となっているし、味に影響が出るほどの劣化はしていない)
とにかく、日頃から口にしているカットスイカ(大)と、「自分へのご褒美」としてたまに購入するカットフルーツの盛り合わせを、偶然にも友人から与えてもらったわたしは、初めて口にする”東武デパ地下の底力”に震えた。
こんなことを言っては申し訳ないが、行きつけのスーパーであるクイーンズ伊勢丹のカットスイカは、甘みが強くない品種(または契約農園)で揃えられている。むしろ歯ごたえがしっかりしている分、「リアルに瓜(うり)を齧っている!」と勘違いするくらい、シャクシャクと快音を響かせるが「ほぼ無味」という残念なことがある——年間を通して頻繁に。
それに比べて、東武デパートのカットスイカはさすがにお値段も4桁の大台を超えており、確実にタイムセール以外には手を出せない代物である。とはいえ、内容量も多いので金額が高いのは理解できるが、日頃から同等のサイズのカットスイカ(値引き後)を買い占めているプロ(わたし)からすると、その「十分な甘さ」と「種の配置」に驚かされた。
歯ごたえ十分なのは言うまでもないのだが、それに加えて甘い。言葉にすると当たり前だが、とにかくスイカの甘みを感じるのだ——そう、いつも食べている”スイカ風味の瓜(うり)”ではなく、ちゃんとした甘みを堪能できる「高級なスイカ」ではないか!!!
おまけに、これは個体差なのだろうが種の配置が比較的一定のため、咀嚼する際にうまく避けられるのだ。つまり、「種を排除するのに手間と時間を取られない」という、ストレスフリーな優れモノ。
(クイーンズ伊勢丹よ、これは完全にキミの負けだぞ)
さらに、カットフルーツの盛り合わせのほうも秀逸だった。とくに、紫色と黄緑色のブドウが、パリッと張りのある外皮とコクのある果肉の甘みを兼ね備えており、高級感というか「ちゃんとしている感」が漲(みなぎ)っている。
普段口にするカットフルーツは、いかんせん「ブドウ」がイマイチでいただけなかった。根元の変色が目立っていたり、外皮がヨボヨボかつ酸味が強かったりと、ブランド名に相応しくない劣化具合いにガッカリさせられていた。
あぁ、四千億円(新宿本店のみ)を超える国内トップの売上げを誇る高級デパート・伊勢丹ともあろうお方が、およそ四分の一の売上げ(池袋本店のみ)に留まる東武百貨店に、まさかのカットスイカやフルーツの盛り合わせで負けるとは・・なんというか、残念でならない。
ちなみに、カットフルーツすなわち果物の「差」というのは、肥料や育て方によるものなのだろうか?はたまた土壌や気候の違いなのだろうか?
よく分からないが、料理のように味付けでどうこうできる部分ではないのに、ひと口食べただけで明らかな優劣を察知してしまうあたり、一次産業の真髄というかポテンシャルというか、自然のチカラに畏怖の念を抱かせれる。
とはいえ、このような4桁の高級カットフルーツを口にできるのは、他人から貢がれた場合のみなので、滅多にありつけないご馳走を与えられたわたしは「今日はラッキーだ!」とばかりに、ただひたすら咀嚼を繰り返すのであった。
(食べ物を与えてくれる全てのヒトに、心から感謝)











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