ピアノ発表会でヴァイオリンの伴奏を頼まれたわたしは、生まれて初めて弦楽器とのコラボを実現させた。
そして、初顔合わせとなる今日、互いの楽器が持つ特徴や時代背景などから”なるほどの真実”を導き出した。それは「習い事」という観点での話だが、なぜピアノのようなデカくて持ち運びもできない楽器が、コンパクトで移動にも適しているヴァイオリンよりも人気なのか——その理由について、納得のいく答えにたどり着いたのである。
*
子どもの習い事・・殊に「楽器」でいえば、ピアノを習っている率が圧倒的に高い。そして、習うからには自宅にピアノがあり、母親のおさがりのグランドピアノだったりイマドキの手頃な電子ピアノだったり、種類は違えど88個の鍵盤がついている「ピアノ」を持っている場合がほとんど。
だが、よくよく考えてみると「なぜ、場所を取るし持ち運びもできないような楽器を、誰もがこぞって習おうとするのだろうか?」という疑問にぶち当たった。なぜなら、わたしの目の前には「ヴァイオリン」という片手で保持できる楽器があり、それを入れるケースは肩に掛けたり背負ったりできる。にもかかわらず、これほど手軽に持ち運びができる楽器よりも、部屋を占領する調度品(グランドピアノ)のほうが人気である意味が分からない。
習い事として・・というか、自宅にピアノを置く文化が始まったのは、19世紀の西欧が発端。当時の貴族やブルジョワ層らは、彼ら彼女らの家庭がいかに文化的で教養のある存在であるかを主張すべく、客間やサロンにピアノを置くことでそれを誇示していた。そして”上品な趣味”であるピアノは、裕福な家庭の女子が「価値のある教養」として習わされ、子どもの教育としても女性の存在価値としても最大の効果をもたらしていたのだ。
場所は変わって明治期の日本——西洋式の学校教育とともに西洋音楽が導入され、ここで初めて日本人が近代的な音楽に触れる機会が訪れた。その後、戦後の高度経済成長期に「ヤマハ」が音楽教室を開講し、ピアノという高級で文化的な楽器を販売する側面で、「子どもの教育」「上品な習い事」「発表会というイベント」など、魅力的かつ庶民にも手が出るビジネスモデルを展開。それをきっかけに、子どもの習い事=ピアノという教育商品が誕生したわけだ。
このような時代背景は理解できるが、それよりなにより「ピアノ」という楽器が習い事に適している際たる理由は、「鍵盤を押せば、誰にでも正しい音が出せる」という点だろう。
たとえばヴァイオリンについて、我々が耳にする音はそのほとんどがプロの演奏であり、習い始めの頃からあのような美しい音色が出せるわけではない。
そうだ、ちょっと想像してみてほしい——とあるヴァイオリンの発表会で、子どもたちが次々に曲を披露するのだが、キャリアが浅いため音程やピッチが安定しない上に、音がつぶれるなど「まともな音が出せない」子がほとんど。そんな出演者を見守る親御さんたちも、我が子の演奏ならば「素晴らしい!」と涙を流して喜ぶだろうが、他人の子どもの拙い演奏を何時間も聞き続けるのは、ある意味苦行に近い忍耐力が必要。
その点、ピアノの発表会は違う。技術的な完成度や優劣はあるにせよ、「音」という点では誰もが当たり前にまともな音を出すため、ミスタッチやリズムの乱れがあっても「正しい音」だけは担保される。よって、そこだけは安心して聞くことができるのだ。
これは弦楽器に限らず、フルートやトランペット、サックス、クラリネットなど「息を吹き込むことで音を出す楽器」にも共通することだが、そもそも音を出せるようになるまでには、かなりの期間が必要となる。そして、音が出せるようになってから奏法などの技術を学ぶわけで、一人前の演奏ができるようになるまでには相当な年月を要するのだ。
端的に言うと、管楽器ならば「息の吹き込み方や口の形」、弦楽器ならば「弓の角度」など、楽器を演奏するための前提技術が必要な楽器と比べると、打鍵すれば誰にでも正しい音が出せるピアノという楽器は、習い事としてのハードルが低いのである。
*
・・という楽器が持つ特徴および歴史的背景を、目の前で奏でられるヴァイオリンの生演奏を分析しつつ、打鍵すれば簡単に音が出るピアノを弾きながら考えるわたしなのであった。











コメントを残す