蝶番(ちょうつがい)の叫びが分かる女、分からない隣人

Pocket

 

少し前から、隣人宅のドア開閉時にギィギィと音が出るようになった。そこまでうるさいわけではないが、「あ、帰ってきた」など、興味もない隣人の生活習慣を強制的に把握させられるため、あまりいい気分ではない。

ちなみに、隣人が家を出たのか戻ってきたのか・・の判断は、ドアを閉めた直後に「カチャン」という音がするかしないかで分かる。たとえば「ギィィ」「カチャン」と、立て続けに鳴ったときは"帰宅"である。なぜなら、鍵穴に鍵を挿して回す場合・・つまり出掛ける際には、もう少しモタつくことから「ギィィ」(・・・ガチャガチャ)「カチャン」となるからだ。

 

そんなどうでもいい違いを捉えたわたしは、隣人が発するギィギィに若干のイラつきを覚えながらも、それなりに過ごしてきた。

無機質で見栄っ張りな我がマンションは、分厚いコンクリートの壁で仕切られているため、壁越しに物音は一切聞こえない。仮に殺人事件が起きたとしても、叫び声一つせずに遂行できるだろう。

ところが、物音に関する弱点は"玄関"だということに、わりと早い段階で気づいたわたし。なぜなら、わが家の目の前がエレベーターホールのため、そこで咳やくしゃみをしたり通話をしていたりすると、内容が丸聞こえだからだ。

 

(・・チッ。ウチの前でくしゃみしてんじゃねぇよ)

薄っすら殺意を覚えたわたしは、どの面下げてくしゃみをしたのかを確認するべく、ドアレンズに張りついて穴が開くほど睨みつける。

もしくは、わたしがドアレンズから覗いているときに、相手もこちらを覗きでもしたら、ものすごい勢いでドアを開けてやろうと決めている。それで怪我をさせたところで、わたしに責任はないわけで。

 

そんなこんなで、隣人のギィギィにイライラしなくなってきた頃、なんと今度は、わが家のドアがギィギィ叫び始めたのである。

普通に考えて、同時期に設置したドアなのだから、同じタイミングで壊れたり錆びたりするのは普通のこと。

まぁ、他人のために潤滑油をスプレーするのはバカバカしいが、自分のためなら惜しむことなくベッタベタに塗布してやろう——。

 

とはいえ、せっかくだから隣人のドアにも潤滑スプレーを吹き付けてやろうか。

わたしだったら軋(きし)みが生じたら、すぐさまクレ556を買いに行くだろう。それなのに隣人ときたら、何週間・・いや何か月経っても潤滑油をくれる様子はなく、バカみたいに毎日ギィギィ鳴らしているのだから、部品の叫びが分からない鈍感な人間なのだろう。

ということは、わたしが勝手に潤滑スプレーを吹き付けたところで、隣人は絶対に気がつかない。それどころか「あれ?いつの間にかドアの開閉がスムーズになって、ラッキー!」などと、小躍りするかもしれない。

 

だからといって、なぜわたしが鈍感な隣人のために、潤滑スプレーを分け与えてやらなければならないのか。向こうが頭を下げて「どうか一吹き、お願いします!」と言うならば、考えてやらないわけでもないが。

おまけに、わたしが勝手にシューっとやっている最中に、隣人がドアを開けるようなことがあればそれこそ事件である。説明を聞く間もなく、「ウチのドアになにしてんですか!?」と胸ぐらを掴まれるかもしれない。

仮に説明をしたとしても、「でもなんで勝手にやったんですか?」となるのは明白。逆にわたしが同じことをされたら、それこを大事件に発展させる自信があるわけで——。

 

しかしながら、隣人は軋みが気にならない鈍感であるのに対し、わたしはそういった「金属の叫び」に敏感であり、彼らの気持ちがわかる繊細な人間なのだ。つまり、どれほど潤滑油の必要性を説いたところで、隣人は理解を示さない可能性が高いのである。

それこそ、ドアが開閉できなくなって初めて泣きつくタイプか——フンッ、バカめ。備えあれば患いなしという言葉を知らないのか。

 

蝶番(ちょうつがい)にも寿命はある。そして天寿をまっとうさせるには、壊れる前にメンテナンスを施すことが必須。

いくら部品とはいえ、この世に生を受けたからには、蝶番の人生を最後までサポートしてやるのが住人の役割というもの。そんなことも分からない愚か者が隣に住んでいるのかと思うと、沸々と怒りが湧いてくる——。

 

 

などと思いながらも、かれこれ一週間が経過した。クレ556も買ってないし、わが家も隣人宅のドアも相変わらずギィギィ軋んでいる。

(わたしの精神衛生を安定させるためにも、そろそろ防錆潤滑スプレーを買うか・・)

もう少しで、この苦しい叫び声とおさらばできるのかもしれない。

 

llustrated by おおとりのぞみ

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です