二人の老紳士による、くだらない諍(いさか)い

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地下鉄有楽町線・飯田橋駅のホームで、シニア世代の男性二人が大声で揉めていた。わたしはイヤフォンで音楽を聴いていたので、なんて言っているのかはわからなかったが、その身振り手振りから推測するに「おまえがぶつかってきたんだろ!」「だからって、なんでそんな絡み方をするんだ!」というようなレベルの、つまらない諍い(いさかい)の模様。

なぜそんな小さなことで声を荒げてしまうのか、冷静になって考えれば「いい年したオジサンが、感情をコントロールできずに大声をあげている」という恥ずかしい行為なわけで、普段ならば絶対にやらないだろう。それでもなぜか、会社や家庭という束縛された組織から抜け出すと、ヒトは気がデカくなるのである。

混雑した車内やホームで他人とぶつかることは、物理的にも当たり前の出来事。わたしも、乗降車の際にドア付近に突っ立っている無神経な輩には、「とりあえず降りろよ」と耳打ちしたくなるが、そのくらいで突っかかるほどメンタルが不健康なわけではないので、よろけるフリをして足を踏んづけてから降りている。もちろん「あ、すみません」と、本当に申し訳なさそうな表情の謝罪付きなので、トラブルには発展しないわけだが。

 

——話を戻そう。白髪交じりの男性二人は、両方とも見た目は普通である。むしろ、普通よりも上に感じるほどまともな身なりである。

「会社ではそこそこの地位にいるのではなかろうか」と思えるくらいに、立ち居振る舞いも顔立ちも凛々しく、そんなくだらない揉め事に時間を費やしていることが残念で仕方がない・・といった感じに受け止められる。

 

同年代と思われる二人のシニアは、大声を上げたりオーバージェスチャーでなにかを伝えたりしていたが、そのうち小柄なほうがエスカレーターへと消えていった。

(あぁ、小柄な男性が降車する際に、背の高い男性にぶつかったのかな)

対戦相手を失った男性は、しばらくの間キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回していたが、そのうち足を引きずりながらエスカレーターへと消えていった。

(なんと、二人とも降車した乗客だったのか?!)

 

東京メトロ飯田橋駅は、一日の乗降者数が130駅中第15位(150,786人/2023年度)という、都内屈指の乗客数を誇る地下鉄駅である。そのため、肩がぶつかっただの足を踏まれただの、そんな行為は「些細な日常」でしかない。

この程度の常識を、あの二人の老紳士が知らないはずもなかろう。そして、長く生きてきたのだから、今さらぶつかっただのなんだので人生を棒に振ることもない。それなのになぜか、二人は出会ってしまったのだ。

おまけに背の高いほうは、まるで逃げられたかのような状況に怒りが収まらなかったのだろう。不自由な足を引きずってまで追いかけて行ったのだから、ニンゲンの執念てやつは恐ろしい——。

 

おっと、なぜ「追いかけていった」と表現したのかというと、二人が消えて平穏が訪れたホームに"例の二人"が再び現れたからだ。おまけに、背の高い男性は後に有楽町線に乗車したので、エスカレーターを上って行ったのは、小柄な男性を追いかけるためだった・・ということが判明したからだ。

トラブルの発端が分からないのと、分かったところで怒りの沸点は人それぞれなので、他人であるわたしがどうこう言えることではないが、それでも背の高い男性は粘着質であることは間違いない。小柄な男性をわざわざ追いかけて連れ戻してまで、諍いを続けることを望んだのだから——。

 

その時わたしは、とある友人が披露した「見事な倍返し」を思い出した。詳細は忘れたが、やはりぶつかっただのなんだの・・というくだらないトラブルに巻き込まれた友人は、電車のドアが閉まる寸前に降車すると、車内に残された相手に向かって「クルクルパー」のジェスチャーを送ったのだ。

これを見て当然ながら憤慨する相手だが、彼を乗せた電車は容赦なく遠ざかっていくわけで、やり返したくても叶わない。

(友人はマジで煽りの天才かもしれない・・)

身の安全を確保した状態で、相手にさらなるダメージを与えることなど、並みのニンゲンにはできない芸当である。それを、狙ったわけでもなく自ずとやってのけたのだから、むしろ尊敬に値する。

 

あぁ、わたしもどうせやるなら、このくらいダメージのある攻撃を仕掛けたいものだ——。

 

 

そんなこんなで、わたしは背の高い老紳士と同じ車両に乗り込み、まだまだ鼻息荒く落ち着きのない彼を、やや哀れな目で見守るのであった。

 

Illustrated by 希鳳

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